YURRYちゃんのぷるぷるワールド

わぁ!すげー!すてき!のシンプルな感情を心の奥底から感じることが大好き。いつも人間らしく野生で犬のように動き回って生きたい永遠の子ども

ディズニーから考える表現者として大切なこと

 

この出会いもつながりもすべて神さまからのヒントと挑戦状

 

モデルとしてディズニーでの撮影に声をかけさせてもらった。

BIG BAND BEATが当たった

ナイトショーをみた

 

 

 

BIG BAND BEATが高倍率の抽選であたった瞬間、「ああ今日という日はただのディズニーじゃない」そう悟った。

なぜなら半年前、ディズニーを愛するエンターテイナーとここに訪れたときも奇跡の確立で抽選に当たったからだ。つまりYURRYは2回連続BIG BAND BEATに招待されている。

※BIG BAND BEATとはディズニーシーのブロードウェイで、一日5回講演分抽選が行われる。1回につき抽選対象の収容人数は1000人。一日5000人が抽選で当選し入れるが、少なくても数万人毎日来場者数がある中でこのチケットを当てるのは究極である。

 

どきどきしていた。初めてBBB(BIG BAND BEATの略)をみたときは体中の細胞が躍りだし、キラキラしたステップと音楽が空間をつくりあげ、ディズニーの革命がわたしの中で起こった。感性を爆発させる出会いだったのだ。

しかし今回は2度目のBBB。どんな気持ちになるのかたのしみだった。

 

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2回目のBBBは1回目の肌感覚とまったくちがった。目に映るステップと色は表現者としての立ち位置からの目線だったと思う。つまりあたえる側の目線ですべて見えた。

そこには4つの気づきがある。

 

  1. 人は”自分にはできない”と”この空間(この人)でしか味わえない”をもとめている
  2. 感覚と価格を上回るパフォーマンスをされたとき、はじめて感動する
  3. 表現の一貫性をうちぬかれたとき、はじめて受け手側がイメージをつくる
  4. 感動はリアルからしか生まれない

 

 

 

1.人は”自分にはできない”と”この空間(この人)でしか味わえない”をもとめている

なんで舞台をみにいくの?

なんでステージショーを見たがるの?

なんでコンサートにいくの?

表現はすべて芸術だとYURRYは思っていて、芸術はどんな形であれ一方的だ。そして客はみな受け取るのだ。一緒につくりあげるではなく個として独立してる作品を浴びせられるのだ。(客参加型の芸術だって、作者が意図的に客を巻き込むことが作品形態なのだから一方的である)

ではなぜそこに人が集まるのかというと、1.自分にはできない と書いたが日常的にできるものじゃないから、というのが良いだろうか。もちろん本気でやろうと思えばできないことではないがわざわざやろうと思わないことをプロとして完成させたことに「おお!」と惹きつけられる。そして2.この空間(この人)でしか味わえない。たとえば北海道のみで販売されている超絶おいしいいくら丼があるとしよう。あの北海道の空気と景色の中で食べるいくら丼がさいこうにうまい!とするとグルメ野郎たちは高い金を払ってでもその場所に行きいくら丼を食すだろう。しかしこのいくら丼が全国展開したらどうだろう。どこでも食べれるいくら丼となりわざわざ北海道まで行く金をかけなくても手に入る。安い商品となりかねない。

つまり、人はこでしか手に入らない自分がもってない経験に興味があるのだ。

 

2.感覚と価格を上回るパフォーマンスをされたとき、はじめて感動する

わたしはディズニーシーで行われるブロードウェイ、BIG BAND BEATはディズニーだからできるステージだと思っている。というのはこのショーが単独公演であったらあの人気も動員数も知名度もないだろう、ということだ。「ブロードウェイ」と言われてなにを思いますか?ハイレベルなパフォーマンスと高そうな雰囲気、皇族の遊びのようなイメージがわたしはあるのだがそこまでではないか?客は高い金を払い、期待値が上がった状態でショーを受け取る。お金でクオリティに線引きをしてしまう。

わたしは約8000円でディズニーでBIG BAND BEATを見たことにものすごく感動した。だって「8000円払ってこれが見れるの?!?!5万円払ってもいいわ」と思うくらいだったから。それまでのディズニーのわいわい感覚と価格を上回るパフォーマンスをされたことで感動につながったのだ。単独公演だったら1万ぐらいかな

人々の肌感覚を超えるパフォーマンスは感動をつくる

 

 

3.表現の一貫性をうちぬかれたとき、はじめて受け手側がイメージをつくる

表現は中途半端では刺さらない。

動き、身なり、姿勢、色、音、雰囲気、、、すべてを作品に濃くえがくことで、受け手側が作品のイメージをつくる。人が「新しい!すごい!」と思うのは作品に作者の一貫性があるときのみだと考える。BBBでは白のタキシードを着た黒人が英語で司会をはじめ、音楽の指揮の手のなめらかさや演奏者のうごき、バックスクリーンの映像とダンスする人間のマッチ、服装と表情、、etc ブロードウェイとディズニーを掛け合わせ、オリジナルストーリーにどう表現するか、その露出の仕方に一貫性があってはじめてBIG BAND BEATという概念がつくられる。つまり受け手に「BBBといえば?」の質問で出てきてほしい単語、例えば「ダンサー」「ドラム」「タップダンス」など、これがなければBBBじゃない!といえる事象を極めることが新しい概念をつくりだすのだ。

じゃあYURRYワールドを認知してもらおうと戦略だてると、YURRYといえば!ででてくる単語を極めるのだ。そうだなぁ「感性」「旅」「本」とか、これを貫いて表現することで初めてYURRYってパフォーマンスを知ってもらえるということだ。

表現の軸が太いほど受け手の心に直球する

 

 

4.感動はリアルからしか生まれない

心も体も前のめりになるのはこの目でこの肌でそれを見るからだ。スマホの画面でいくら作品を見たって動かされるのは一瞬の気持ち。わたしたちはこの地球に”今”生きてるんだから感情もこの地球のこの今にあるんだ。BBBもyoutubeで見たらなんとも思わなかっただろう。あのとき、あの人がいたから、強く心が動かされたんだ。

表現はリアルの場でなければ心に届かない。強くそう感じた。

 

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わたしは生き様が芸術だと考えているから、人々は一生をかけて生きるということをなんらかの形で表現をしながら進んでいくのだと思っている。

いってしまえばみんなアーティストだし表現者として語れる。しかし注目される表現者は上記の4つを兼ね備えているからだと思うんだ。

YURRYも表現者として地球を踊り狂いたい

この気づきと経験が神さまからのヒントだ

すべての表現者へ この記事が届きますように

 

 

 

 

 

人が歩く音

下をむきながら

スマホをみながら

イヤホンを  しながら

……

 

 

2週間ぶりにあるく日本は  なんだかちょっと冬の終わりのにおいがして

ああ  日本に帰ってきたんだなあ  と 2月の寒さがわたしに語りかけるんだ

 

 

 

 

 

ふっと  ときどき  衝動的に文章が書きたくなるときがある

パソコンに向かって

 

 

 

つい2日前まで30度の南国にいたのに

わたしは今なんだか  箱の中にいるようだ

 

 

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鏡をみると  こんがりした肌に凛々しい目

20才のときより少しおとなな顔になった気がする。

 

 

 

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「loveはtrustだよ。trustがなければloveではない」

 

きみの瞳はまっすぐで 

だけど

本気なのか  試されてるのか

それを疑うこと自体、心無いわたしなのか

 

その言葉はたしかに正しいが それはきみへのloveではないかもしれないと  心の奥にひっかかる

 

 

 

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わたしのほうがロボットだったんだ

 

 

こんだけ、

人間らしく!

とか

自分!!

とかいっててさ 

結局  trustとかfeelingとかだれかが関わることには心がなかった

 

 

わたしの心も頭も

思考できない

冷たかった

 

 

だからこそ、温かい人とか心ある人がうらやましくて、わたしもああなりたいって、ほんとは自分に心がないから、人間になりたかった

自分がもってなかったから、あったかい心がほしくて、そんなふうに行動していたんだ

でも、信じるとかとかいちばん人間がすることがいちばんできなかった。それがさみしかった

 

ほんとに心があったかくて人間は、人間らしく!とか自分!とか深く考えないんじゃないかなあ  すでに持ってるんだもん

 

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だからさ、気づいたんだ

"自分"も"人"も信じなきゃって

 

人間だとおもってたわたしがいちばん人間から遠かった

 

まずは自分の身近な人を大切にするよ

そのひとたちに愛を

 

 

 

 

バリ島  出会ったみんなありがとう

 

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Happy birthday YURRY🎉🎂🧸

Thank you my love💕

 

 

 

 

 

 

解放!!!

 

すがすがしい

なんとも空がいつもより青くみえる

 

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 ポートレート 谷中銀座にて photo by 山内康平

▶️https://kohey12yamauchi.myportfolio.com/

 

 

さきほど学部教務課に休学届をだしてきた。

そうYURRYは今日をもって1年間大学を休学する。

 

これを認めてくださった親とゼミの先生には感謝しかない…

地面の底からありがとう!!

 

 

 

そう いまからわたしはなんでもできる

自由だ!!!!!!!

 

今までも自由だったはずなのに、あーゼロだなーってなったとたんもっと心がかるくなった

 

 

さて、この一年間でYURRYがすることは

・多様な生き様にふれる

・考えも生き方もふにゃふにゃにする

・外国人と毎日遊ぶぐらい英語能力をあげる

・空気を読まない

・うごきつづける

 

 

これをするためにオーストラリアワーホリをしにいく予定だ。

べつにどこでもいいんだけどさ、なんかこの国は新しいものやことや人に出会えそうだなって思って

飽きたらべつの国に行くし

 

 

 

結局のところ

どこで  だれと  いるかなんですよ

 

 

このまま日本にいて大学4年をすごしてもなにか発見があるわけでもないし、就職する気もないし。人も環境もつまらないので今は一番気軽にいける海外という選択肢でうごいてみて様子をみようと思ってる!

 

 

 

 

ま、ワーホリなんてだれでも行けて生活できるツールですからね。このレベルにわたしはとどまる気はさらさらないので、捧げる時間の価値を倍にするコンテンツが浮かび上がったらチョクチョクやっていこうかな!

 

 

 

てわけで、後押ししてくれた方々ほんとうにありがとうございました!!

 

来週1/30~2/14でバリ島にバースデイトリップしてくるので、帰ってきてからみんなのプレゼントまってまーす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慶応の授業にもぐりこんで痛感したこと

 

すさまじいブランド力を誇る慶応義塾大学

ここさいきん、たまたま慶応生と仲良くなったので「慶応の授業受けてみたい!!!!!!」と懇願したところ、いっしょに受けてくれることになった

 

 

某日

ここは慶応三田キャンパス

 

 

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圧倒されるキャンパスだ

古めかしい雰囲気と歴史を感じさせる建物。

一瞬でトリコになった

 

 

 

 

YURRYは駅伝で有名な東洋大学に在学しており、あのモダンなキャンパスに日々通っている自分からすると、慶応三田キャンパスはとってもとっても深みがあり新鮮なのだ!

 

 

 

本題

さて今回は

東洋大学国際地域学部に在学する女子大生という視点から

慶応義塾大学商学部をみてきた特徴をのべる。

 *大教室で行われる計3つの授業を参考にまとめる

 

慶応義塾大学商学部

①パソコン(MAC?!)を操作しながら授業受けている人が多い

②レポートが思考能力をためされるもの

③座学、歴史的な面からの授業←たまたま?

④学生にブランド感がある

⑤なんかみんなヒップホップとかやってそう

⑥服装がレトロ感(おしゃれっていうのかな)

⑦みんな教室の半分からうしろに座る

⑧教授のスライドみにくいため自分のケータイやパソコンで資料をみる

⑨まじめに授業きいてる人がいない

⑩金持ちそう

 

 

 

 

:慶応の商学部のごく一部の授業をみた感想なので一概には言えません。

 

 

上記を比較すると…

東洋大学国際地域学部

①パソコンを操作しながら授業受けている人いない

②レポートに堅さない

③実技的な授業←観光学科ならではだから

④慶応の学生はZARA東洋大生はforever21てかんじ

⑤女子8割の学科なので女子の面で。雑誌にたとえると、慶応生は「ray」「gina」なかんじ。東洋大生はnonno(笑)

⑥服装はnonno

⑦後ろが若干人おおいかなぁ・・ぐらい

⑧スライドは教授による

⑨まじめに授業きいてる人が多い

⑩ごく普通

 

 

 

東洋大の国際地域学部のごく一部の意見なので一概には言えません

 

 

 

 

慶応ボーイ、慶応ガールを肌で感じて一番印象つよかったのは

パソコンいじりながら授業してる姿!!!

 

わたしの学科じゃ滅多にみられない光景なんだよね。パソコン置いて先生の授業受けるっていうのが!もしかしたら東洋のほかの学部はそうしてるのかもしれない。

あと、服装!!

慶応生はなんかいちいちイイモノ着てる感あった

 

注:主観です

 

 

 

 

まあね、3つぐらい行ってみたけど、ちょーーーーーたのしかったよ。

うん、まじで。

慶応っていうのとワクワクと深みね

 

 

 

 

 

まとめ

最終的に、特徴みつけましたーっていうのを言いたいんじゃなくて

他大学の授業を初めて体験したからこそ、はじめて自分の大学、学部学科の授業の特徴がわかったんよね。

 

 

はじめて客観的にみれるんよ

これって人生にもいえるよね

海外の学生と授業うけてはじめて日本の学生の特徴がわかる

海外に住んではじめて日本のライフスタイルの特徴がわかる

海外で仕事してはじめて日本の働き方の特徴がわかる

 

他人を知ることが自分を知ること

 

まちがいない

 

 

だからなにが良いのか、どんな選択肢があるのかも同じジャンルの環境にいちゃ見えないんだよね

ま!じぶんの立ち位置を知る=どれだけ新しい人や環境に触れれるかってこと

もっとおもしろくなっていくんじゃない?ってはなしでした

 

 

ps.日本の中でも大学間留学とかありじゃね?って思いました。受験のペーパーでうまくいかなかったとしても、勉強したい学生が刺激をうけて学べる環境をつくればもっと個人が飛躍すると思います。海外留学行く費用がないって学生も国内大学間留学ならハードル低く費用おさえて現実的に異環境にとびこめると思います。

 

 

 

 

 

 

 

化粧が魅せるもの【2】

 

 

先日学会の研究発表をききにいき、おもしろいお話がきけたので追加記事を書く!

 

まずは前回の記事をご覧になってからこれを読むとスムーズだ

 

yurry-narn

 

 

前回化粧ネタについてYURRYの分析を語ったのだが、学会で「化粧」をテーマに研究しているチームがいたのでくわしく話をきいた。

 

 

なぜ女性は化粧をするのか

この理由には2パターンあるようだ。

  1. 化粧で隠したい
  2. 化粧が楽しい。魅せようとするもの。

これは先行研究ですでに述べられているもの。

YURRYの前回の4つのパターンのうち2つだ。

 

 

化粧による心身への影響

女性の化粧という行為は心と体につながっているようだ。その行為自体が交感神経と副交感神経を刺激するようで、化粧前と化粧後では女性のモチベーションややる気に差がでるというデータがとれたようだ。約95%の人が化粧という行為でポジティブな気持ちになるそうだ

 

つまり化粧をすることで女性は一日のスイッチが入るということ。

 

 

 

YURRYの予想は?

わたしは前回の記事でも述べた通り4つのパターンがあると思った。

①すっぴんを隠したい

②化粧が楽しい

③社会的マナーだから

④みんなやってるから

 

③、④にかんしては化粧へのモチベーションはないが仕方なく行為をしているというパターン。

しかし研究で化粧後にポジティブな心身になるという結果がでているということは、③と④はネガティブな要素のため、パターンはないのか?といえる

 

 

 

じゃあ化粧をする女の子はネガティブにやっている人は少ないといえる!!

だから①のパターンの子でも隠すことでポジティブになっているということだ。

 

 

 

 

 

 

なるほどおもしろい話がきけた。YURRYの研究はデータをもちいて、深く論じれる!

 

女の子が気持ちのスイッチをいれる大切な儀式、それが化粧という行為のようだ

しかし、やはり①と②のどちらのパターンに自分が属するかで化粧によって魅せる顔が違うのではないかと、自分の経験から言わせてもらう。

どちらにせよポジティブな気持ちになるなら、ぜったい魅せる化粧のほうがよくない?!だから女の子はまず自分を受け入れて自分の顔を大好きになって、自分にしかない雰囲気と化粧で魅了させるべき

 

 

 

あなたが似合う化粧、まとえるオーラは必ずあるんだから、隠さなくたっていい

隠すんじゃなくて魅せるんだよ

 

 

 

 

この結果だと魅せなきゃ損よ

同じメイクでも人を魅了させてみよ

フフフ♪

 

 

 

 

 

 

 

化粧が魅せるもの

 

またもや化粧ネタである

今回はめずらしく筋の通った理論が浮かび上がった

 

 

なぜ女性は化粧をするのか

そこにはいくつかのパターンがあると予想する

  1. すっぴんをみせたくない
  2. 化粧でかわいくなる自分が好き
  3. 社会的マナー
  4. みんなしてるから

これこそ女性50人ぐらいにアンケートをとって調査したいレベルで気になる。とりあえずYURRYの偏見で女性がなぜ化粧をするのかパターンにわけた。

 

 

1.すっぴんをみせたくない

これに関しては、本来の自分を隠したいという心理がかかっている。自分に自信がないから化粧という色付けで自分の本来の姿を消し、一枚仮面をかぶった自分がほんとうの自分だと錯覚する。化粧後の自分が自分だと信じ切ってしまったら、もうすっぴんでは外を歩けない。さいあくマスクなんかで顔を隠し街を出歩くことになるのだ。

 

 

2.化粧でかわいくなる自分が好き

これはただの化粧好きである。しかし内面にあるのは、すっぴんの自分を見たくない化粧が楽しいではないだろうか。または究極を言えば、ただの趣味で化粧があると考えている人もいるかもしれない。

 

 

3.社会的マナー

20代後半~の女性からよく耳にする言葉だ。「化粧をせず人に会いに行くなんて、会う気がないのと同じだよ」と。化粧が社会のマナーである、常識であるなんていったいどこのだれが決めたルールだろうか。かってにしとけとしかいえない。この概念にとらわれて、イヤイヤ化粧をする女性も多いのだろうか。時間もうばわれるし、めんどくさいし、マイナスしかない

 

 

4.みんなしてるから

これは流されやすい人に多いかもしれない。てか、こんなパターンあるのか?(苦笑)書いてみたはものの、みんなしてるからという理由で、しぶしぶぎこちない化粧で現れるより、すっぴんで元気でいてもらえたほうが肌にも顔色にもプラスである

 

 

 

とまあYURRYの主観でパターンわけしたのだが、このパターンのどこに属するかでまったくその人の見え方は変わる

 

根本的になぜ自分がこれだけの時間と費用を使って、化粧をするのか?この意味が分かっている人は、他人に自分を魅力的に見せれるだろう

今は「??」って人でも、その本質を自分で理解できれば必ず、自分を今より魅力的に見せれるはず。

その話をしていこう

 

 

 

まず化粧というのは自分を魅せる手助けをしてくれる道具だ。

そこにあるのはイヤな部分を隠す道具ではなく、その人の魅力をひきだすもの。

だから、上記の①で論じたすっぴんを見せたくない、という心理で使われる化粧とその人の顔は守備であり、「んーまあふつう」といったできばえ。

しかし②の究極なパターン、化粧が趣味!自分を色付けて表現する!的な思考の人に使われる化粧とその顔はなんとも華やかでゴージャスだ。もとの顔がかわいいとかブサイクとか関係なく自分の特徴を化粧でノせている。

③や④の心理で描かれた顔はなんだか、”あなたはすっぴんのほうがいいんじゃない?”という気持ちになる

 

(確実なデータ、写真をもってきて根拠づけたかったが、なかなか人の写真を使ってこんなdisることはできない。自分がいままで見てきた人を参考に主観で意見を述べた)

 

 

 

 

つまり化粧が魅せる顔は、

どう化粧を操るか、とらえているかに起因する

とYURRYは考える。

 

 

 

わたしは自分のすっぴんの顔がだいすきだ。

けっしてかわいくないし、ブサイクなのは百も承知だが、それを化粧で隠そうとは思わない。隠すメイクはしたくない。自分が自然でいることがなによりステキだと思ってるし、そのままのYURRYが一番美しいと思っている。

しかしそんなわたしもがっつり化粧をするときはある。アルバイトとデートのときは特にだ。しかしここで出来上がるYURRYはブサイクをちょっとマシにしたYURRYではなく、魅せるためにできあがったYURRYである。「ナチュラル、自然な自分が好きなくせにハデにするの?」と言われたことがあるが、自分の魅力をより引き出すために準備したサプライズであり、本質のYURRYにウソをついているわけではない。

 

 

 

だから化粧というのは、自分をより知ってもらう、見てもらうためのツールであり、どんなに化粧という仮面で不安が隠せても、本質は隠せない。

まずは自分を好きになることが大切だ。自分のすべてを受け入れることが大切だ。

そこでやっと、お化粧というサポーターが自分をもっとかわいく、美しく仕上げてくれる。

 

 

女の子がいちばんかわいくなる方法は自分をだいすきになることである

 

 

 

 

 

夢を掲げて8年たちました

 

" My dream is making friends in all Japan and around the world "

 

 

”わたしの夢は日本中と世界中に友達を作ることだ”

 

 

 

いつのころだったか

そうそれは中学生のころだったかもしれない

このプロフィールを掲げて8年ほど経つ

 

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わたしの心が純粋に キラキラしながら心地よいリズムを刻んでいる

 

”世界中の人々と英語でコミュニケーションとれたらどんなに幸せだろう”

 

 

そんな妄想楽しみしかなかった。

いつ海外にいけるんだろう?外国人の友達を日本でつくれないかなぁ

中学2年生、当時13歳だったわたしは英語の授業がなによりすきで、学年トップを死守していた。

 

 

そんなある日、とつぜんの英語の先生の連絡事項に目を輝かし、ゾクゾクしているわたしがいた。

「オーストラリアホームステイの案内がきてまーす。まあ興味ある人はね、あとで先生のところにきてくださいねー」

 

一目散に先生のところにかけよった。

「先生!わたしこれ行きたい!」

「おーYURRYさんね、あなたならきっとうまく生活できると思うわ。だけど、高校生になってもっと英語の文法や単語を習ってから行けば、もっと楽しいはずよ」

「そっかぁ」

 

 

お母さんにも相談した。しかしかえってきたのはこんな答え

「んーまあ今は部活も忙しいし、高校になってから行きなさい」

当時、成績優秀、ソフトテニス部キャプテンをつとめ文武両道をこなしていた私は、海外というものすごく興味のある世界を”高校になってから”という未来に置いて、そのまま中学時代を終えた。

 

 

しかし高校でも、ソフトテニス強豪校 & 国公立大学を目指す特進クラスにいたため、中学よりも時間も余裕もなかった。特進では大学にいくことだけしかみえなかった。たくさん怒られた 成績が悪いと何時間も面談させられた 泣く人は日常茶飯事、そんな環境で、だいすきだった英語はいつしか、勉強しなきゃいけないものとなり、成績トップだった能力も、ザコの底辺におちいった

 

 

 

中学、高校時代を勉強と部活の青春でいろどった道は、たしかに唯一無二の自分の経験で、たくさんのことを学んだ。部活でも中国大会や全国に出場できたことはなにより光栄だし、がんばってよかった。後悔はしていない

 

しかし思うんだ

 

 

 

あのとき
中学のあの瞬間
海外に行ってたら
どうなってたんだろう
って

 

 

 

今では2か月に1回海外旅をし、日本という環境が肌にあっていないことを実感しているわたしだが、teenagerのあのとき、わたしはオーストラリアに行ってたらどんな道をたどっていたのだろう

 

考えるんだ

 

わたし、日本の高校や大学に行ってないと思う。

まったく別の世界で生きている自信がある

 

 

 

 

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” 大自然の中で動物と暮らしたい

 未知の世界に行ってみたい

 一度の人生おっきく羽ばたいたもん勝ち

 by自分の机 ”

2014.11.24

"YURRYのinstagramから引用"

 

 

 

高校2年生のころの投稿である。

わたしは常に欲していた

未知の世界を

自分が知らない場所へ、世界へ飛び込みたかった

 

 

 

 

もし自分があのときの、先生や親の立場だったらこう言いたい

 

”心ふるえるなら、今すぐに行け”

 

 

何かを得るということは何かを捨てるということ

わたしは必死にやっていた部活と勉強を優先し、(経済的な面で苦しかった理由もあるが)海外に行くことを捨てた。

しかし、あのとき海外に行ってたらもっと自分の人生狂ってたんじゃないかなって

想像するとワクワクするんだ

 

 

 

だから

なんだか

ちょっぴりくやしいから

なんでもできる今

すきなことを存分にやっちゃお?!って

今からでも海外の大学に行くことは遅くないと思うんだ

未知の世界にいくのはなんだって

 

 

 

 

YURRYの心がさけんでいること

これは生まれた時から変わらないのかもしれない

 

 

" My dream is making friends in all Japan and around the world "