YURRYちゃんのぷるぷるワールド

わぁ!すげー!すてき!のシンプルな感情を心の奥底から感じることが大好き。いつも人間らしく野生で犬のように動き回って生きたい永遠の子ども

ディズニーから考える表現者として大切なこと

 

この出会いもつながりもすべて神さまからのヒントと挑戦状

 

モデルとしてディズニーでの撮影に声をかけさせてもらった。

BIG BAND BEATが当たった

ナイトショーをみた

 

 

 

BIG BAND BEATが高倍率の抽選であたった瞬間、「ああ今日という日はただのディズニーじゃない」そう悟った。

なぜなら半年前、ディズニーを愛するエンターテイナーとここに訪れたときも奇跡の確立で抽選に当たったからだ。つまりYURRYは2回連続BIG BAND BEATに招待されている。

※BIG BAND BEATとはディズニーシーのブロードウェイで、一日5回講演分抽選が行われる。1回につき抽選対象の収容人数は1000人。一日5000人が抽選で当選し入れるが、少なくても数万人毎日来場者数がある中でこのチケットを当てるのは究極である。

 

どきどきしていた。初めてBBB(BIG BAND BEATの略)をみたときは体中の細胞が躍りだし、キラキラしたステップと音楽が空間をつくりあげ、ディズニーの革命がわたしの中で起こった。感性を爆発させる出会いだったのだ。

しかし今回は2度目のBBB。どんな気持ちになるのかたのしみだった。

 

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2回目のBBBは1回目の肌感覚とまったくちがった。目に映るステップと色は表現者としての立ち位置からの目線だったと思う。つまりあたえる側の目線ですべて見えた。

そこには4つの気づきがある。

 

  1. 人は”自分にはできない”と”この空間(この人)でしか味わえない”をもとめている
  2. 感覚と価格を上回るパフォーマンスをされたとき、はじめて感動する
  3. 表現の一貫性をうちぬかれたとき、はじめて受け手側がイメージをつくる
  4. 感動はリアルからしか生まれない

 

 

 

1.人は”自分にはできない”と”この空間(この人)でしか味わえない”をもとめている

なんで舞台をみにいくの?

なんでステージショーを見たがるの?

なんでコンサートにいくの?

表現はすべて芸術だとYURRYは思っていて、芸術はどんな形であれ一方的だ。そして客はみな受け取るのだ。一緒につくりあげるではなく個として独立してる作品を浴びせられるのだ。(客参加型の芸術だって、作者が意図的に客を巻き込むことが作品形態なのだから一方的である)

ではなぜそこに人が集まるのかというと、1.自分にはできない と書いたが日常的にできるものじゃないから、というのが良いだろうか。もちろん本気でやろうと思えばできないことではないがわざわざやろうと思わないことをプロとして完成させたことに「おお!」と惹きつけられる。そして2.この空間(この人)でしか味わえない。たとえば北海道のみで販売されている超絶おいしいいくら丼があるとしよう。あの北海道の空気と景色の中で食べるいくら丼がさいこうにうまい!とするとグルメ野郎たちは高い金を払ってでもその場所に行きいくら丼を食すだろう。しかしこのいくら丼が全国展開したらどうだろう。どこでも食べれるいくら丼となりわざわざ北海道まで行く金をかけなくても手に入る。安い商品となりかねない。

つまり、人はこでしか手に入らない自分がもってない経験に興味があるのだ。

 

2.感覚と価格を上回るパフォーマンスをされたとき、はじめて感動する

わたしはディズニーシーで行われるブロードウェイ、BIG BAND BEATはディズニーだからできるステージだと思っている。というのはこのショーが単独公演であったらあの人気も動員数も知名度もないだろう、ということだ。「ブロードウェイ」と言われてなにを思いますか?ハイレベルなパフォーマンスと高そうな雰囲気、皇族の遊びのようなイメージがわたしはあるのだがそこまでではないか?客は高い金を払い、期待値が上がった状態でショーを受け取る。お金でクオリティに線引きをしてしまう。

わたしは約8000円でディズニーでBIG BAND BEATを見たことにものすごく感動した。だって「8000円払ってこれが見れるの?!?!5万円払ってもいいわ」と思うくらいだったから。それまでのディズニーのわいわい感覚と価格を上回るパフォーマンスをされたことで感動につながったのだ。単独公演だったら1万ぐらいかな

人々の肌感覚を超えるパフォーマンスは感動をつくる

 

 

3.表現の一貫性をうちぬかれたとき、はじめて受け手側がイメージをつくる

表現は中途半端では刺さらない。

動き、身なり、姿勢、色、音、雰囲気、、、すべてを作品に濃くえがくことで、受け手側が作品のイメージをつくる。人が「新しい!すごい!」と思うのは作品に作者の一貫性があるときのみだと考える。BBBでは白のタキシードを着た黒人が英語で司会をはじめ、音楽の指揮の手のなめらかさや演奏者のうごき、バックスクリーンの映像とダンスする人間のマッチ、服装と表情、、etc ブロードウェイとディズニーを掛け合わせ、オリジナルストーリーにどう表現するか、その露出の仕方に一貫性があってはじめてBIG BAND BEATという概念がつくられる。つまり受け手に「BBBといえば?」の質問で出てきてほしい単語、例えば「ダンサー」「ドラム」「タップダンス」など、これがなければBBBじゃない!といえる事象を極めることが新しい概念をつくりだすのだ。

じゃあYURRYワールドを認知してもらおうと戦略だてると、YURRYといえば!ででてくる単語を極めるのだ。そうだなぁ「感性」「旅」「本」とか、これを貫いて表現することで初めてYURRYってパフォーマンスを知ってもらえるということだ。

表現の軸が太いほど受け手の心に直球する

 

 

4.感動はリアルからしか生まれない

心も体も前のめりになるのはこの目でこの肌でそれを見るからだ。スマホの画面でいくら作品を見たって動かされるのは一瞬の気持ち。わたしたちはこの地球に”今”生きてるんだから感情もこの地球のこの今にあるんだ。BBBもyoutubeで見たらなんとも思わなかっただろう。あのとき、あの人がいたから、強く心が動かされたんだ。

表現はリアルの場でなければ心に届かない。強くそう感じた。

 

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わたしは生き様が芸術だと考えているから、人々は一生をかけて生きるということをなんらかの形で表現をしながら進んでいくのだと思っている。

いってしまえばみんなアーティストだし表現者として語れる。しかし注目される表現者は上記の4つを兼ね備えているからだと思うんだ。

YURRYも表現者として地球を踊り狂いたい

この気づきと経験が神さまからのヒントだ

すべての表現者へ この記事が届きますように