YURRYちゃんのぷるぷるワールド

わぁ!すげー!すてき!のシンプルな感情を心の奥底から感じることが大好き。いつも人間らしく野生で犬のように動き回って生きたい永遠の子ども

夢を掲げて8年たちました

 

" My dream is making friends in all Japan and around the world "

 

 

”わたしの夢は日本中と世界中に友達を作ることだ”

 

 

 

いつのころだったか

そうそれは中学生のころだったかもしれない

このプロフィールを掲げて8年ほど経つ

 

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わたしの心が純粋に キラキラしながら心地よいリズムを刻んでいる

 

”世界中の人々と英語でコミュニケーションとれたらどんなに幸せだろう”

 

 

そんな妄想楽しみしかなかった。

いつ海外にいけるんだろう?外国人の友達を日本でつくれないかなぁ

中学2年生、当時13歳だったわたしは英語の授業がなによりすきで、学年トップを死守していた。

 

 

そんなある日、とつぜんの英語の先生の連絡事項に目を輝かし、ゾクゾクしているわたしがいた。

「オーストラリアホームステイの案内がきてまーす。まあ興味ある人はね、あとで先生のところにきてくださいねー」

 

一目散に先生のところにかけよった。

「先生!わたしこれ行きたい!」

「おーYURRYさんね、あなたならきっとうまく生活できると思うわ。だけど、高校生になってもっと英語の文法や単語を習ってから行けば、もっと楽しいはずよ」

「そっかぁ」

 

 

お母さんにも相談した。しかしかえってきたのはこんな答え

「んーまあ今は部活も忙しいし、高校になってから行きなさい」

当時、成績優秀、ソフトテニス部キャプテンをつとめ文武両道をこなしていた私は、海外というものすごく興味のある世界を”高校になってから”という未来に置いて、そのまま中学時代を終えた。

 

 

しかし高校でも、ソフトテニス強豪校 & 国公立大学を目指す特進クラスにいたため、中学よりも時間も余裕もなかった。特進では大学にいくことだけしかみえなかった。たくさん怒られた 成績が悪いと何時間も面談させられた 泣く人は日常茶飯事、そんな環境で、だいすきだった英語はいつしか、勉強しなきゃいけないものとなり、成績トップだった能力も、ザコの底辺におちいった

 

 

 

中学、高校時代を勉強と部活の青春でいろどった道は、たしかに唯一無二の自分の経験で、たくさんのことを学んだ。部活でも中国大会や全国に出場できたことはなにより光栄だし、がんばってよかった。後悔はしていない

 

しかし思うんだ

 

 

 

あのとき
中学のあの瞬間
海外に行ってたら
どうなってたんだろう
って

 

 

 

今では2か月に1回海外旅をし、日本という環境が肌にあっていないことを実感しているわたしだが、teenagerのあのとき、わたしはオーストラリアに行ってたらどんな道をたどっていたのだろう

 

考えるんだ

 

わたし、日本の高校や大学に行ってないと思う。

まったく別の世界で生きている自信がある

 

 

 

 

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” 大自然の中で動物と暮らしたい

 未知の世界に行ってみたい

 一度の人生おっきく羽ばたいたもん勝ち

 by自分の机 ”

2014.11.24

"YURRYのinstagramから引用"

 

 

 

高校2年生のころの投稿である。

わたしは常に欲していた

未知の世界を

自分が知らない場所へ、世界へ飛び込みたかった

 

 

 

 

もし自分があのときの、先生や親の立場だったらこう言いたい

 

”心ふるえるなら、今すぐに行け”

 

 

何かを得るということは何かを捨てるということ

わたしは必死にやっていた部活と勉強を優先し、(経済的な面で苦しかった理由もあるが)海外に行くことを捨てた。

しかし、あのとき海外に行ってたらもっと自分の人生狂ってたんじゃないかなって

想像するとワクワクするんだ

 

 

 

だから

なんだか

ちょっぴりくやしいから

なんでもできる今

すきなことを存分にやっちゃお?!って

今からでも海外の大学に行くことは遅くないと思うんだ

未知の世界にいくのはなんだって

 

 

 

 

YURRYの心がさけんでいること

これは生まれた時から変わらないのかもしれない

 

 

" My dream is making friends in all Japan and around the world "