YURRYちゃんのぷるぷるワールド

わぁ!すげー!すてき!のシンプルな感情を心の奥底から感じることが大好き。いつも人間らしく野生で犬のように動き回って生きたい永遠の子ども

2020年も終わっちゃうね

やあ
2020年があと2週間になっちゃったね

 

ほんとに目を向けたくない事実も情報も殴り掛かるように散乱していて、たくさんたくさん考えた年だったね。去年バリ島から帰ってきて1年、海外にも行けずやることもない、もがきまくったこの1年で別にもう自分を責めることも鼓舞することもしない。ただ事実もうこの世に生きてるだけ、それだけをしている。

 

さいきんのニュースといったら卒論を無事提出し、大学卒業が間近になってきた。退学するのか休学するのか就活するのかしないのか、いろんな道がありすぎて私なにやってるんだろーと思うことが常だったが、なんとあのユリ―がもう働き始めた!!正直1年バイトもほぼしていないし生きる気力もなかったしただ毎日天井とYouTubeみて終わる毎日に精神を削りながら心の涙を流していたから、もう考えたくなかった。もうなんでもよかった、熱中できるんなら。
ある日かかってきた電話で、営業してみませんか?と。営業か~、まあ興味はある職業だったから即OKした。2週間後には入社して12月頭からYURRYは営業マンとして毎日駆け巡っているのだ。いまもね!!

インスタグラム、ツイッターYouTubeスマホから消した。いっきに入ってくる情報量が減って、自分はどこにいるんだろう、この世の中はどうなっているんだろうと不安も少し出たが、情報量疲れが減った。SNSで煽られまくって焦りを感じていたあの日々はなくなった。情報は減ったからなにがトレンドなのかまったくわからんけど。

 

 

自由と不自由の痛みを知った。
自由であれば不自由を求める自分がいた。
不自由であれば自由を求める自分がいた。
何にも縛られない自由は自分を苦しめた。
今までの不自由が不自由じゃなかったことに気付いた、ほんとうは自由だった。
完全な自由でやりたいことのアイデアがでるほどのクレイジーでも奇抜な自分でもなかった。今は本当にやりたいことなんてなかった。自由になればやりたいことができると思っていたけど勘違いだった。不自由の中でやりたいことはでてくるのかもしれない。

 

ゆりーはすごいし、ゆりーはアイデアマンだし、ゆりーはなんでもできるけど、なんかリズムつかめなかったね。もう一回なにかに縛られてみる。

 

 

だから結局就活とかしてないけどもう働いていて、今は営業マンとして試行錯誤しながら毎日成績だそうと結果を追い求めてがんばる自分が楽しいからそれでいいと思ってる。2020年はたくさん机の前で考えました。なんもおきませんでした。たまたま今働く中で、気づいたことは、好きじゃないこと得意じゃないことをするから好きなことと得意なことが明確になるんだ、ということで、やっぱ英語使いたい!!って気持ちがより一層高まってる。完全ジャパニーズで仕事してると、むずかしいなあとか英語をしゃべってる自分がすごくウキウキするなあとか、海外で営業してみたいなあとか感じる。あと商品売るって相手が人生を私に賭けるんだなってことだと思って、生半可な気持ちでモノなんて売るもんじゃないと肝に銘じた。それがビジネスなんだって思った。お金が絡んでるからこそ、本気で向き合おうと思ったしこれからも真剣に売りたいものしか売らないと思った。

 

 

ときどき見るYouTubeインドネシアの動画に涙を流しそうになりながらも、これからもっと英語するのかインドネシア語するのか海外就職しちゃうのかトントンと決めていきたい。

YURRYはなんでもできるからね!なんでもできるから!世界で活躍するスーパーウーマンへ

 

んじゃ