YURRYちゃんのぷるぷるワールド

わぁ!すげー!すてき!のシンプルな感情を心の奥底から感じることが大好き。いつも人間らしく野生で犬のように動き回って生きたい永遠の子ども

すごいわたししか見てほしくなかった

きのう友達と話してて ハッとした瞬間があった

 

 

「人と会うのが怖くなった。なぜならなにも達成していない状況の自分なのに、時間を作って会ってくれる人に申し訳ない。こんな今の自分にだれも会ってほしくない」

 

 

 

素直に気持ちを言葉にしたら なんだか心にひっかかる

 

あー 

百点満点の自分をつねに見せていたい

すごいことをしていないときはゆりーじゃない

こんなわたしすごいでしょ?ねえ?を評価してもらいたかったんだ

 

すんげーーーーーーー評価主義者だった。

 

 

さらにたとえると

アメリカ留学しにいきたいけど英語しゃべれないと相手に申し訳ないから、日本で英語ペラペラになってから留学いきます!

ってこと

 

 

え?本末転倒じゃん w

 

 

こんなのわたしじゃない

なにかを達成していないわたしは認めれない

わくわくすることしてないときはボヤかす

そんなことをし続けた結果 友達も知り合いもみな 審判 のように見えてしまっていた

 

すごいところしか見せたくなかった

すごいゆりーでいたかった

高い目標もってがんばってるゆりーでありたかった

現実とのギャップが自分をくるしめ、勝手に分厚いフィルターかかった世界にして、だれも近寄るな わたしに会うな 準備ができたら言う とあらゆることを後伸ばしにしたり避けたりしていたのかも

 

 

 

これに気付いたから これからどうしよう ってなにも考えてないけど

このフィルター外さないと たぶんこの先いっしょだろうなって。

 

へんに自分はすごい!って思いこんでるからプライドが邪魔すんのかなあ

ぜんぜんすごくねーわ 

見栄を張るためのすごい活動はやめて 

いっかい 受け入れよ ね

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは  地球

 

 

 

 

 

 

 

タイトルなし

1時に寝る

コレコレさんのライブ配信をBGMに

 

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12時に起きる

 

ーーいつも思う ああ今日も昼からのスタートか と

 

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そのままYouTubeをみて、ジムに行き、すこしパソコンをさわり、夕食を食べ、風呂に入って、ふとんへダイブ

なーんもかわらない毎日

YouTubeをみればみるほどじぶんも一般人とかわらない行動できないやつなんだって洗脳をうけているきがしてならない

 

さすがの適応性である

 

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いぜんのようにあちらこちらとイベントや人に会うこともなくなった。フットワークの軽さは変わらないが、なにに時間をつかおうか というところを真剣にかんがえているまじめちゃん?

ま なんというか 人に会うのが怖い てのが正直なところであるし、そんな気持ちもいまの暮らしで変えれるわけないんだろう とべつのYURRYが言っている

 

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一日家の中にいることがじぶんを鬱にすることは変わらないし

いつでも外にいたいし 

なにかをしていたくて 夢中に没頭して目のまえのタワーをつみあげていたい

シェアハウスいっしょに住んでくれる子いない?できればインドネシア人とかで。

 

 

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あー うー

心臓の奥からわきでる叫びは 内臓で止まっていて

以前のように口からでることもなくなってしまった

感情が高ぶれば でるのかもしれない

 

そんな自分を正当化しようと必死に答えを探してる自分も なんだか かわいそうだ

生活は こんなにも 豊かなのに

なんで 心はこんなにも 貧しいのだろう と

日本のニュースも 人も みていて 完全なる貧困層ではないかと 自覚した

 

 

そう わたしは 貧しい

 

なんだか かわいそうで こんなこと考えてる自分も 自ら体にダメージを与えているよう

 

 

 

 

ぜんっぜん金じゃねーよ

そしてSNSの中でもない

だれも生きていないバーチャルな世界にホンモノをつれてくるな

 

 

かんがえすぎるな

いちばん大切な自分を殺すな 傷つけるな 

物理的な幸福度 精神的な幸福度 どちらが大事なんだ?

どちらも

 

めまぐるしく情報がいきかう今 

バーチャルな人に会えば会うほど心がつらくなるし考えちゃうからYURRYはリアルだけでいい

 

 

適応性が倍以上働いてしまうから 自分がいる場所も唯一のところだけでいい

みんなのマネもしなくていい

自分がいる場所を自分でなくすなよ

 

 

君は英語できてかわいくてモテて本かけて感性豊かで真面目でがんばりやでストイックで運動できてピアノできて言語できてふっ軽でパワフルなんだからさ

 

 

 

じゃ!おやすみ

 

 

おくびょうな人間たち

 

べつにやる気もない

燃えてもない

動いてもない

部屋で天井みてるし

隣で寝ているブラウンのぬいぐるみは今にも泣きそうな顔をしているだけ

あいかわらず

インドネシア語の勉強だけはつづけていて

ピアノもちょくちょく弾くくらいだし

ああそろそろ自伝を完成させなきゃだなあって思いふける毎日

 

なにが気もちくて なにが気持ち悪いのか 君にはわからないだろう

 

 

 

 

おもいだせば あんなところにメンヘラがいて

おもいだせば 2ねんまえにバリ島という島にいっていて

気が付いたら 22さいになっていた

 

 

なにか達成したのか といわれたら

べつに なにも   と正直だ

なにか夢はあるのか といわれたら

べつに 笑って踊って食べてセックスして寝れたらいい って心がいってる

 

 

まいにちメール通知をならす「就活内定キャリアセミナー」にはツラツラとブランディング、大手、商社、年収、90%内定 となやます学生をすくってくれるかのような魔法の言葉がならんでいる

そんなメールフォルダをひだりにシュッとスワイプしてきれいにしていくのが唯一のひまつぶし

 

 

 

Twitterにいけば のうみそ偏差値の戦いのような争いがくりひろげられていて

YouTubeにいけば 行動しよう!君は変わりたいのか とうながす意識高い動画でありふれていて

instagramにいけば 自己顕示欲のかたまりがキラキラおどっている

 

 

 

みんな は 世界をどんなふうにみているんだろう と

ふと きもちわるさで iPhoneを捨てたくなる

 

 

べつになにもいらないや

 

 

 

 

SNSをみていると じぶんが行動できない変わらない人間 とあおられているような気分になり  発言をするやつがすごいんだと 表現するやつが時代をつくっていくんだと 個に赴きをおいた質の高い発信がおおいこと

 

 

 

しょうもない

まったくしょうもないよ

生きてる?

 

 

 

べつにどうでもいいさ

君がなにを発信しようが なにを思おうが それは100人100通りだ

だがなあ 気持ち悪いんだよなあ 

わたしはみるのやめよう

あまりにも煽りビジネスがはやっているのかこの国は?

んーわからんが 吐き気がする

 

 

 

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大学4年生ですっていうと必ず就活の話がでてくるが、1年のころからきまってわたしはこう答えている

「就活はしないんです」

「なんで就活しないんですか」

ってきかれるけどそんなん即答

 

「わたしが会社を追うんですか?逆ですよ。会社がわたしを追うぐらいじゃないと」

 

 

鼻でわらっちゃうよほんと

ほんものはどこにると思う?

ホンモノがツイッターなんかでふんずりかえってると思う?

かんたんにはわかっちゃもらえねえな

わからなくていいし

ほんものはみんなが手に届く場所にいるわけないじゃない ネットなんかにころがってないよ? いくらインターネットががんばったってホンモノはさがすことができないんだから 

 

 

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きもちわるい世の中だ

きもちわるいSNS

きもちわるいつながりだ

 

なにいってんだコイツ?が8倍ぐらい増えたきがする

過去の栄光にすがらないし 変わりゆく自分と朽ちていく自分がいかに芸術でアートであるかを 思い知るがいい

 

 

いいかい?

わたしはやる気もないし 対人恐怖症になりつつあるし うずくまってるし 朝起きれないし めちゃくちゃ寝てるし バイトしてないし なにも生み出していないさ

だが インドネシア語を勉強してるし 時間にはおくれないし 人に会うときは身だしなみを整えるし いわれたことは期限内にちゃんとこなすし ピアノだってできるのさ

 

ようするに 

 生きてる        それだけ

 

 

呼吸して  眠りにつく

あしたはなにが迫ってくるんだろう

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ああうつくしいYURRYよ

ホンモノとして 地球とおはなししながら生き残ってくれよ

きみは 地球と自然としゃべれるパワーがあるんだから

どうか きみのうつくしさを じぶんでよごさないでくれ

 

ホンモノ

ホンモノ

ホンモノ

きみはホンモノになれるか?

 

ディズニーシーアトラクション「ソアリン」から

 

 

思わず拍手をしている自分がいた

 

 

 

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席の数は90

女子高生たちのキャッキャする声がこのアトラクションの誕生と勢いを物語っている

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1万円払える。

表現のやわらかさと神秘的な可能性を感じた。

5分ぐらいのライドなのだろうが、全身鳥肌だった

 

におい 嗅覚からも刺激をあたえ、イメージや感性をふと思い出させてくれるあのしくみはほんとうにまちがいない

 

 

 

 

ああ表現しようと思ったし

ああ地球にいるんだって思ったし

生きよう って思った

 

 

 

音 目 嗅覚 を刺激するアトラクション

 

 

 

ぜんぜん地球にありがとう そして生きる

生命力 神秘的なエネルギーを感じた

そうとう企画も金も動くんだろうが、あの一瞬でこの世界を再現することが本当にプロ。プロフェッショナルだ

たった5分、いや3分だったかもしれない

人の心を動かすアトラクション ものすごく支えがあってできたものだと

 

一瞬だが 心に余裕をもたらす しくみと世界

「すごい」なんて言葉で終わらせない

そんな簡単な言葉で感想を書くのは失礼だと本気で思う

 

とにかく すばらしかった

 

 

 

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世界をみればわたしたちは小さくて

においを嗅げば異なる箱を思い出し

動物をみれば 生命をかんじる

 

あの音をきけば あの時間にもどりたい と感じ

そのにおいは ほんとうは  じぶんの心にあるもの

 

上からみれば 下からみえない世界があり

外からみれば 中からみえない世界がある

 

東京はいがいと 光っていて

東京タワーと新宿の光は社会のくるしみを見続けている

暮らしはここだけじゃなく森も川も宮殿も

 

 

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ぞわぞわした

たのしかった

トリハダだった

おおきかった

ひろかった

ちいさかった

においした

音がきこえた

東京がいた

わたしがすんでいた

ディズニーにいた

 

 

わたしはまだ やれる

生命を感じ感性を爆発的につかったこの瞬間がさいこうにしあわせ

どんどん 神秘的な生命にふれていくし 表現をする

ディズニーありがとう

 

 

 

 

沈み

.

つらかったし 見えなかったし 雪山に置き去りにされているようで

気持ちと現実がかみあわない日々が苦しくて放り投げた

.

2019年がおわった

2020年がおとずれた

.

天井を見つめては一日7時間

スマホを見つめては一日9時間

わけもわからない からだ のどこからか、”いやだ はやく”ときこえる

そんな叫びがじぶんの口から奇声となってでてくる

 

”わたしはなにをしてるんだ” と

 

.

リズムのよい、テンポのよい波にのれない つまり生活に刺激とわくわくと恐怖がなくなってきて、そんな現状にいる自分がゆるせなくて 「せっかく休学したのに」とか「自由になんでもしていいのに」とかどんどん責めるワードが心に刺さっていくんだ。

 

 

常に波にノっていたかった

 

たくさん考えた

意味があるのかわからない熟考を何か月もくりかえした

 

 

 

ほんとうに落ちていた

 

 

 

しかし今日YURRYが以前かいたブログを読み直したんだ。

 

yurry-narnia.hatenablog.com

 

 

これを読みおわって感じた

 

あ~~~~~~~~~~~~~   って

なんてすばらしい感性なんだって

とても憧れる存在だって

YURRYのこの感性まじ宝だな  って

じぶんがもってるもん見えてなかった

 

 

テイラースウィフトのコンサートのときも、バリで気づいた不思議な力も 感じる力があるんだ わたしは 

そして表現をしていくんだ

 

 

YURRYの感性っていう宝はゆずれねえよ

1年間の沈み込んだ体験も芸術に化してやろう 

 

自伝第3弾執筆中!!

 

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残されたのは人間と生命とアートだった

習慣である日記の一部をきりとる

10/28

 

無であり、無力であり、力もなくただ存在しているYURRYから発するのは、知っている世界からNEWは生まれず、comfortableは心と脳を固めてしまうということだ。2週間外にいる日もあれば、友達の家でごろごろし、YouTubeを永遠に見るという日もあった。1年前、いや2年前から自明のことであったが、「部屋」という存在はなぜか私をこわす。立ち上がるとフラっとし、浸っていたSNSに殺意を感じる。何も得るものはないとわかっていながらTwitterYouTubeを見るのは「外」「NEW」を十分に得ていないからだろう。そのすきまをうめるように暇つぶしを、生産性のないSNSという恐怖のアプリケーションで使ってしまうのは、何とも自分の首を自分でしめているようだ。

 

SNSで戦ってるやつらはそれが武器なのだから、やり方もツイートの仕方もフォロワーの集め方も、見せ方もすべてわかっているのだ。しかし私はどうだ。足がからまったように、自分のリズムを自分でこわしにいっているのだ。

もうそんな中途半端な使い方はやめたらどうだい?

 

何事も中途半端で得られるのは、中途半端な結果しかない。だれもの生活と思想が垣間見れる時代になったからこそ、何が良くて何が悪くてどう進むのが良いのか影響を大きくうけるようになってしまった。しかしネットでツイートやYouTubeで時間浪費してる暇のあるやつらに外でたくさんの生命とアートにふれてる人間の経験から生まれる思想と意見が理解できるだろうか?そしてそいつらも同じような思考パターンになると思うか?いや、ぜったいならないだろう。何倍も濃い時間を使って過ごしてる人間の価値ある思想がかんたんに流されるようじゃ、本気じゃないっつーか、それこそ中途半端なんだよね。

 

極めてる人間はさ、理解不能なんだよ。理解できることをやってるうちは、まだまだ不純物混じりの人間界ってことよ。なんていったら日本の20代の若者80%ぐらい、人間でもないからね。でも彼らは見えてない。自分たちがインターネットや社会にあやつられてもう人間ではなくなってることに。そのままおもちゃの箱の中で一生を終え、死んでいくんだ。そう死に。

そんなコンピュータ、ロボットとかがうじゃうじゃいる日本で遊ぶのと人間と遊ぶの、どちらが楽しいか? 自明である。

残されたのは人間と生命とアートなんですよ。これは1年前から言ってるね。で、これで遊ぶには「部屋」にいてはだめなんですよ。これに会えるのは必ず「外」で「NEW」な所なんよね。場所に限らずNEWは「人」でもいいの。Aと一緒にいるときのバリ島とBと一緒にいる時のバリ島ってらぜんっぜん違うくない?方向が違うとかじゃなくてがちがうんよ。このアートなんよ。

 

そして遊びと生きることにはリズムがある。このリズムをふみはずすと戻るの難しいんだよね。だけど常に全力疾走はできないし、落ち込む時もあるからリズムから外れたときの戻り方を覚えなきゃこの先うまくのりこえられないと考えている。

 

上や先輩やseniorの甘い言葉はいらない。彼らのgoodがわたしのgoodではない。見方をくれるのは大変いいことだけど妥協はしない。

甘い蜜なんていらないのですよ

 

おなじ田舎への挑戦の満足度が180度ちがったモンゴルとダーウィンを徹底分析する

はろはろ~

いかがお過ごしでしょうか。

YURRYは日本に帰ってきて1か月たとうとしており、日々youtubeをみながらごろごろ生活を真剣にしています。

あ、あしたからバリ島いってくる(またかよ…

 

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さておき、そんな生活の中やはり頻繁に考えるのはダーウィンへの挑戦がなんでしょぼく感じたんだろう、ということ。なぜかというと、わたしは2年前にダーウィンより田舎のモンゴルでインターンをしていたんだが、たった3週間にも関わらずそれまでの人生で一番キラキラした宝物のような経験をしたからだ。

だからダーウィンという田舎でもおもしろいことを見つける自信があった。なのになのに…おもしろくなかった!!!(^O^)

 

なので狂人になってしまいました⇓

 

yurry-narnia.hatenablog.com

 

 

だからね、なにがちがってなにが私が求めているものなのか

くやしいから徹底分析してやろうと思う

 

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①言語

モ⇒英語が通じない。ジェスチャーモンゴル語

ダ⇒英語

 

②仕事

モ⇒毎日基本的には同じこと

ダ⇒毎日基本的には同じこと

 

③寝床

モ⇒一人部屋。だれか遊びに来る

ダ⇒シェアハウス。だれかと話す

 

④休みの日

モ⇒休みなし

ダ⇒友達とナイトマーケット。部屋のそうじ。パブへ行く。

 

⑤食事

モ⇒モンゴル料理。作ってもらえる

ダ⇒自炊。友達のまかないをもらう

 

⑥ケータイ

モ⇒つかえない

ダ⇒いつでもつかえる

 

⑦日本人

モ⇒わーい!日本人!

ダ⇒うぇ‥英語のばしたいから近づかないで

 

⑧同僚

モ⇒モンゴル人。たくさん話しかけてくれる

ダ⇒台湾人。たくさん話しかけてくれる

 

⑨友達

モ⇒モンゴル人

ダ⇒多国籍

 

⑩気候

モ⇒肌寒い

ダ⇒常夏☀

 

⑪当時の年齢

モ⇒ティーンネイジャー19歳

ダ⇒ちょっぴりおとな 21歳

 

⑫労働時間

モ⇒一日12時間

ダ⇒一日8時間

 

⑬自然

モ⇒草原!馬!ひつじ!

ダ⇒クロコダイル!ヘビ!

 

⑭遊び場

モ⇒草原!

ダ⇒パブ!

 

⑮日常でやばいこと起きるか

モ⇒電気とまったり。水シャワー耐えたり。部屋からでられなくなったり。

ダ⇒痴漢現場に遭遇。理不尽な中国人遭遇。

 

 

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違う事象

①言語④休みの日⑤食事⑥ケータイ⑦日本人⑨友達⑩気候⑪当時の年齢⑫労働時間⑬自然⑭遊び場

 

同じ事象

②仕事③寝床⑧同僚⑮日常でやばいこと起きるか

 

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違う事象の比較

①言語

モ⇒0からコミュニケーションしていく毎日が刺激的 ⭕️

ダ⇒英語がなめらかにしゃべれるようになってきたのを感じた瞬間さいこう ⭕️

 

④休みの日

モ⇒休みがあってもやることないので満足⭕️

ダ⇒休みがあるから楽しいことできるので満足⭕️

 

⑤食事

モ⇒伝統料理を毎日食べて満足 ⭕️

ダ⇒自炊で満足 ⭕️

 

⑥ケータイ

モ⇒つかえないからワイルドになれたので満足⭕️

ダ⇒日本、いつもと変わらない ▲

 

⑦日本人

モ⇒わーい!日本人! 満足⭕️

ダ⇒日本人とからまないことで徹底的に英語環境にしたので満足⭕️

 

 

⑨友達

モ⇒モンゴル人 満足⭕️

ダ⇒多国籍 助けてくれる友達がたくさんできたので満足⭕️

 

⑩気候

モ⇒肌寒い 寒かったが耐えれた ▲

ダ⇒常夏☀ 半袖半ズボンさいこう!⭕️

 

⑪当時の年齢

モ⇒ティーンネイジャー19歳  満足⭕️

ダ⇒ちょっぴりおとな 21歳  満足⭕️

 

⑫労働時間

モ⇒一日12時間  疲れたけど仕事しかやることないので満足⭕️

ダ⇒一日8時間  ひまな時間多くていやだった ▲

 

⑬自然

モ⇒草原!馬!ひつじ!  満足⭕️

ダ⇒クロコダイル!ヘビ!  興味ない ▲

 

⑭遊び場

モ⇒草原! さいこう!⭕️

ダ⇒パブ! どこでもできる遊びだな ▲

 

 

 

あれ…?(笑)

各項目を比較したがほとんどダーウィンでの境遇に満足をしている。

しいて言うなら日本のような日常からかけ離れた異世界と不便利さの中で生活していく自分が好きなのか。

 

しかし決定的になにかが違うはずなんだ。

ということで毎日つけていた日記をみかえす

 

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モンゴル

⇒毎日ちがう色の感性をつづっている。やはり喜怒哀楽が豊かに表現されていて悲しいことにも色がある

 

ダーウィン

⇒英語をのばすこと、自分自身を高めることにものすごく気合をいれている。感性なんて使ってなくて、いかにこの場所と期間ですごい人間になれるかにフォーカスしてる。なんだろ、すごい粘り気の強い柔軟性のない思考

 

 

わたしは休学してるんだから、オーストラリアに来たんだから、1年しかないんだから、チャンスをつかまなきゃ、一日たりともむだにはできない、、、めちゃくちゃレベルアップすることに気合入れてるダーウィン、という印象。

いや、いいんだけどさあ…これを達成できないと感じた時に負のループに陥ったわけよ。

 

 

考察

・せっかくこんな根性と気合あるなら正しい場所で鍛えなきゃだね。場所がちがうんじゃね、という印象。

・感性をぞんぶんに毎日使ってる自分がだいすきだけど、英語とチャレンジチャンスをつかむ目的で行ったダーウィンは場所がいまいち。

・もう一度モンゴルと同じ状況で同じ経験できるか、といわれたらぜったいできないよ。なぜならそれはもうわたしにはできることだしレベルアップしてるから。だからダーウィンで日本人いない場所で生活していくのは慣れていた。

感性を使えなかったかな。

たぶん感性には2パターンあって、自然からうける感性と自分のチャレンジから出てくる人や物事への感性。ダーウィンには後者をもとめていたかな。

 

 

じゃあなにがわたしに必要なのか?

チャレンジからでてくる感情と感性

あーこれがわたしの人生をカラフルにたのしくさせる要因かもしれんな

 

 

この結果をぜったい一生わすれない

以上