YURRYちゃんのぷるぷるワールド

わぁ!すげー!すてき!のシンプルな感情を心の奥底から感じることが大好き。いつも人間らしく野生で犬のように動き回って生きたい永遠の子ども

やっほー!

 

まだ私のブログを読んでくれている人がいるのだろうか。

読んでてくれたらうれしい!

 

実は今月でITベンチャーの会社を辞めることになった!

とにかく私はがんばった!心身ともにボロボロになるくらいがんばった!もう自分を痛めつけることはせず、ユリ―をリスペクトしながら仕事はしていきたいね。

 

やめるってなったら、同僚にもお客さんにも私は大きな影響を与えていたのかなって少し思った。同僚は「ゆりーがいたから学べたり、がんばろうって思えた」と、お客さんは「ゆりーさんがいるうちに成果とさせてあげれなくて申し訳ない」と。そんなことを言ってくれるなんて、、とびっくりした。私は何の影響も与えれていないと抱え込んでいたが、意外にも誰かを鼓舞する存在であれたのだろうか。

 

だれかに影響を与えている、それを思う瞬間は結構あって。ゆりーと話して前に進めた!とか、ゆりーと話して元気になれた!とか、あなたに会いたい!とか私の周りにいる人たちはほとんどそう言ってくれる。前の会社の上司もみんなそうだった。

 

自分が思う自分と、他人から見る自分は違うのかと。でもみんなを元気にさせれていたり、笑顔にさせれているならうれしい!

 

 

私は退職をしたら少し人生の寄り道をしようと思っている。

会社で働いていると、まるで自分が会社があるから肯定しているような気分になったり、会社に貢献していることが自分の価値のように思えてきてしまう。まあこの社会では当たり前だし、そう思えないとやっていけないだろう。

ただそうなった場合に会社に属していない期間や転職をする際に、まるで自分に価値がないように思えてしまうことはまったく違う。

会社から属すことをやめたとしてもゆりーの価値や魅力は変わらないし、減ることはない。会社がまるでアクセサリーのように見えてしまうのは、自分に自信がないからなんだろう。

 

私はいるだけでみんなを元気にできるし、絶対大丈夫っていう自信がずっとどこかにある。私はどん底の経験ももうしてきたし、鬱の中ずっと働けるキチガイな体力があったし、だめだめでもチャンスを握っていける。

 

頭で考えていては被害妄想しか浮かばすいい影響を与えないことが、前回の転職のときにわかっているので、何も考えずとりあえずやり残したことだけやろうと思う。

 

1免許とる

2スノボ1泊2日いく

3モロッコラクダに乗って満点の星空を見る

4ブラジルにいく

5ゲストハウスで地元の人と仲良くなる

6北海道にいく

7沖縄2泊3日くらい

8留学2年くらい

9英語をIELTS7まであげる

104割の力で月収50万

 

 

今は壮大な夢のために鍛え上げるのも疲れたし、いったん休憩させてくれ。

ずっと走り続けてらんないのよ。。

また走れそうになったら、次は頭を使って勉強して6割の力で100だすようにする。

 

成長!!って言葉に踊り狂わされてやる気を搾取するようなクソ会社にはぜったい行きませんから、そこを見極めることがゆりーはできることもわかっているので、私の時間や価値を奪わない特別な組織だけに貢献はする。

 

どん底でいいので、どんなゆりーも認めて優しくする。

話はそこから。

 

んじゃ!

 

2022年おわり

 

思ってもみなかったくらいネガティブな感情も目に見えない成長もあったのかもしれない。

別に多くは語りたくない。一言で終わらせたい。

 

月ごとのハイライトを写真を見返すだけでは察せない心の動きが裏には必ずあった。

成長したい。

大きくなりたい。

体の病気。心の病気。

転職。引っ越し。

なによりも自傷行為

決して平らな道で、平らな感情で過ごせたわけではない1年。ネガティブな気持ちのほうが多かったかもしれない1年。それでも私は生き抜いた。がんばりすぎてるくらいがんばった。がんばってもがんばっても次がやってくるから頑張り方を変える、それが来年。

来年はがんばろうなんて軽々しい言葉を吐くわけない。

私は常にがんばってるからがんばるなんて失礼な言葉を自分に浴びせないし誰にも言わせない。

 

24歳。よく死ななかった。

キラキラした写真からは想像もつかないくらい裏にある感情に目をそむけたくないから記しておく。2年間続いている自傷行為は10月くらいに軽くなった。自分を傷つけることが気持ちが楽になる。一時的な麻薬である。お酒や消費的な遊びや旅行もたくさんやった!それも一時的に楽になりたいからお金を使うだけだった。

根本解決はしない遊び方と過ごし方に情けなさを通り越した次元にいるけど、頭で考えて変われるほど軽い価値観で生きてるわけじゃない。

 

楽しそうだね、キラキラしてるね、がんばってるね。「ありがとう」感情の裏には孤独や焦燥感や情けなさがつきまとっていて。この沼るほどの理想への渇望というのは、どうしても一時的で消費的な遊びでは埋められない。遊ぶほど埋めれなくなってしまう大きなアリジゴク。

責任感が大きくなればなるほどストレスもかかり、大きな癒しとストレス発散を求めるようになる。一番簡単な方法は自分を傷つけること。楽ちんだ。

いつまでだっても満足しない、そんなライフがこの先もずっと続くのはあまりにもデスゲームすぎる。

痛みや苦しみをこれでもと感じるのは2022年で終わりにしないか。

 

 

2023年、わたしは25歳になる!25歳なんてゴールデンタイムの後半戦だ。もう折り返し地点だし、いつまでも満足しないライフを送っている場合じゃない。1年なんてあっという間に過ぎ去るんだ。

今年はレーシックもしたし、歯科矯正もしたし、脱毛もしたし完璧なゆりーに近づいている。いい加減自分を認めないハードモードな人生選択はやめて、認めた上でのちょっとずつ階段を上る人生にしないか。もうエネルギーだけでは解決しない年になる。頭を使わなきゃいけない。考え方を変えなきゃもう苦しいよ。

 

来年は自分を認める。自分に優しくする。力でがんばるのではなく、頭で結果をだす。

変えるんだ、やり方を変えて同じくらいの結果をだす。

 

優しく、やわらかく、ハッピーなライフでありますように。

See you again!

大阪生活終了

 

1年9ヶ月、2022年12月をもって大阪一人暮らし生活を終了することにした。

2021年に大学を卒業後、コロナによって海外渡航を閉ざされた私が選んだ新しい土地が大阪だった。外が大好きな私が人に会えなくなり自分の可能性や成長や変化を感じれなくなった大学4年、一人暮らしをすればなにか変わるのではないかと東京から場所を変えて友達のいない大阪へ降り立った

 

この仮説の結果は正ではなかった。つまり一人暮らしをするから外へ動けるのではなかった。自分のリズムをつかめるわけでもなかった。大学時代、一人暮らしをしていた時代が毎日キラキラ輝いていて新しい人や土地に出会い刺激的だった。私はそのレベルをとうに超えていて今まで似合っていたサイズの服が入らなくなった。それだけだ

だから大阪の一人暮らしは孤独だった。どんどん鬱になった。

 

でもそんなバッドエンドな生活だったわけでもない。私は大阪で一人で、孤独に、自分の信念と戦った。信じたいものを信じるために戦ったのだ。その戦いは誇るべきものだし、だから今素晴らしい会社の戦闘一員として上を目指して頑張れてる

 

この1年9ヶ月は戦いだった。

孤独、信念、自傷、今までの刺激的な生活を正として測ると負の連鎖だった。私は何年経った今も過去の価値観の服を着ようとしているからだ。そうじゃない、わたしは強くなっているんだ。だから上手くいかなくて当たり前なのだ。

約2年に及ぶ自傷行為はやっと、10月頃に治まった。辛かったんだ。そう 苦しかったんだ。

 

キラキラした血が踊るようなリズムの人生が当たり前なんだと思っているが、それを実現する方法を過去と同じやり方で再現しようとしていた。それは失敗だった。だってゆりーは強く、大きく、成長しているから、やり方も毎日変わっていくのだ

 

全く悲観的にならなくていい。

苦しみがあった事実を踏み台に私は起き上がるんだ。過去にとらわれず今の私の強さのやり方で血が騒ぐ人生を見つけに行けばいい。大衆と似た感覚が1%もないバケモンなんだから、もう狂っちゃわなきゃ。

変わっていこう この2年のゆりーにリスペクトを。

 

では。

 

Hey 会社。残り1年がタイムリミットだから。

 

残り1年。これがわたしに残されたタイムリミットだと思う。

 

YURRY24歳、25歳まで残り約2カ月。私はユニコーンになるITベンチャー企業の営業マンとして働いている。この会社で働き始めて1年半。苦しくて重くてあっという間で、1年間はほぼ鬱状態で働いているようで、ただ強くなれてすごくてキラキラした毎日だった。

自分で自分の舵をきれないやつは落ちぶれていく、そんな世界で。この会社を使って強くなろうと思えばどれだけでも経験させてくれる、ゴールデンカンパニーだった。

あらゆる感情に出会った。

・自分は求められていないのではないか、役割はなんなのか実感できない日々

・繰り返すタスクで精神的余裕のない日々

・強くなりたいのに、インプットする気力さえない悔しさ

完全在宅で人と会わないことからも鬱状態は加速し、どんどん周りが見えなくなる日々だった。

 

ただ、振り返ったこの1年半だけでも私は超大手会社相手の営業マンを任されていて、役職のある人たちと毎日ロジカルでエネルギッシュな商談を繰り返すことは楽しかったし、その経験はいろんなことを教えてくれた。

まだまだ自分に足りない能力は山ほどあって、もっと強くなれるんだ、これが限界ではないんだと思い知らせてくれるお客さんは感謝でいっぱいだし、その経験をさせてくれているこの会社にも1番感謝している。

 

そんな私の会社は次の資金調達に向け全社総動員で次1年を動いていく。

この1年が勝負。本当にそうなのだと思った。

社会の流れを追い風にラッキーパンチを繰り返し昇りつめてきたものの、次1年はしっかりと再現性をもった結果をだしていかねばならない。そこには、圧倒的戦略とスキルが必要だと思っている。わたしには、現段階でもうスキルはない。現場のなげやりで培われたこのスキルはもう限界で、これ以上の結果を出すには圧倒的インプット⇒アウトプットをして再現ができる効率的なやり方を知らねばならない。

そのインプットに気力がまったくわかない。

 

この1年をこけると、再来年からが苦しい会社となる。ベンチャーなんてそんな世界だ。正直私はこの12月でこの会社はやめようかと考えていた。やる気や気力なんて今の延長線上にはないことが分かりきっているし、これ以上今のやり方で働いているとまず市場に出れなくなる、つまり社会的な自分の価値を自信をもって言えなくなる、そう思った。

ただ、次の資金調達まであと1年、それを境にこの会社の生死が分かれることを知ると、怒涛の火車の中でどうもがいてこの会社は抜け出すんだ?ってとこに少しだけ興味を持った。その火車の中からユニコーンとしての一歩に自分が貢献できたらおもしろいし、できなければネタだし、でなんとなく節目が見えた気がした。

 

ただ、今と同じモチベーション、やり方で働いていても、今までと同じ結果しか出ないしなにもおもしろくない。毎日が一瞬ですぎさっていき、なんで私のすばらしい能力と時間をここに捧げてるんだ???と思ってしまう。そう、この会社は唯一わたしが時間と能力をささげてもいいなって思った1つの会社だったから。

 

残り1年、たぶん私はこの会社でがんばる。次の資金調達が私の次のステップの節目だろう。そこまでに、私はどれだけ変われるんだろう?どれだけ強くなれるんだろう?同じことはもう繰り返したくない。ずっこけて泥だらけでいいから、めちゃくちゃ楽しんでこの波乱万丈なベンチャーを蹴りつけていきたい

たぶんかなり苦しい

たぶんそうとう苦しいんだろうなあ と毎日積み重なる心の重みを体で気持ちで感じている

 

がんばりたかったのになあ

わたしはもっとできるはずなのになあ

こんなもんじゃないんだけどなあ

 

簡単でまったく普通の業務量なのにどんどん心は重くなる

こんなこともできないのか

1年働いてなにも成長していない

自分の頭で考えれない

言われたことしかできていない

 

出そうと思えばいくらでも出せるほど仕事への向かい合い方に嫌気がさす

なんでみんなはがんばっているのに私はこんなんなんだろう とか

なんで私は生産性良く効率よく動けないんだろう とか

頑張りたいし成長したいのになんで頑張れないんだろう はやくがんばってよ私 とか

 

理想の自分と現実にどれだけ嫌気や怒りや失望を覚えたことか。半年以上そんなんだ

それを前向きなモチベーションに変えれたらよかったが、なぜかマイナスになっている

なぜなんだろう

そんなことさえ考えはないくらい頭は思考停止している

 

大学生の頃は思ってもみなかった社畜になっているのかもしれない

でも本当にもうなにも考えれない 思考停止となり、ぜんぜん業務が難しくて重いわけでもないのに、できないことばかりが目につく

 

消費的な毎日だ

マイナスな気持ちでなにをしても解決しない

根本的な環境や気持ちが変わらない

上部の旅行や遊びをしても消費して終わる

 

わたし、どうしちゃったんだろう

世界へ

今日で沖縄の旅が終わった。3週間石垣から始まり那覇本島までいっろんなことがあった。感慨深かった私の旅をまとめようと思う。

 

2年前にコロナが世界中を混乱させ今もなおスムーズに海外旅行へ行けるわけではなくなった。この2年間は苦しみの年でありつつ社会人として?働くことをとにかくしていた。フルリモートワークという響きはいいものの、学生の時に感じていたような刺激的な毎日ではなくなり淡々と目の前のタスクをこなす社畜人間にいつのまにかなっていた。気づいた時には、わたしなにをしていたんだろう、という何も記憶にないような1年になりつつあった。

 

給料はいいので、ほしいものは買えるし行きたいところには行ける生活だ。なんの不自由もしてないし、言ってしまえば超安泰。ありがとう会社。

 

沖縄では新しい人に出会い、一時的に楽しい時間を過ごした。

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途中コロナになってしまったので滞在の半分は隔離生活でゲロゲロになっていたが、最後に同僚と遊んだり石垣でであった女の子とバカ騒ぎできたのはひさしぶりに若さを感じた。

 

 

隔離期間中にテレビで見た、バスケの試合がとても印象的だったので沖縄アリーナに観戦へ行った。スポーツ観戦は今まで野球しかしたことなかったが、バスケの試合は短期決戦で展開が早いのでずっと興奮していられる。

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今回の試合は琉球グラスゴールデンキングスと島根スサノオマジック

 

生で琉球ゴールデンキングスを見て大きなことを思った。それは団結力、チーム力はスキルを超えていくと。彼らのプレーはワンチーム、そうチームプレーがとても上手いのだ。5vs5で繰り広げられるコート上の戦いは、側から見ていていかにメンバーとコミュニケーションとれているか、信頼し合っているかがわかる。島根スサノオマジックを見ると、1人だけにプレーが偏っていて2点を全員でとりにいくというより、外国人選手が我先にと無理やり点数を狙っていくようなプレーだった。あまりコミュニケーションをとれてるような雰囲気もなく、スキルで勝負しているように見えた。

 

ビーリーグともなると、選手たちのスキルはほぼ変わらないと思うんだ。じゃあなにが勝利要因になるかって、団結力だと思うんだ。自分が上手いだけじゃあの世界で勝っていけない。いかに5人の強みをバランス良くとり、信頼と、一緒にゴールを決めるマインドがあるかが僅差の勝負を決めていく

 

この世の中でシンプルなものに全力で打ち込む人というのがいかにかっこいいか改めて感じた。夢や目標は人生を彩ってくれる。普通に過ごしていればしょうもないことやお遊びって、大人になるにつれて楽しめる心がなくなっていくんだ。ただ、スポーツやゲームなど直接的にお金を作るわけではないものに本気になれて、チームで1つのゴールへ向かうって人間らしくて魅了されるんだなあと

本当はみんながんばりたいんだよ。熱狂的になりたい。夢や目標を追いかける楽しさや興奮を心から感じたいの。大人になれ、大人になれって社会から洗脳されるけど、この世の中で成功している人はみんな心は子供なんだ。子どもじゃなきゃ、シンプルなものに熱狂的になれない。そんな純粋な感性を持ち続けていたい

 

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私は1人で結果を出すことで賞賛を得たかったし、注目を浴びたかった。ただ、チームでがんばること、チームで結果を出すことって1人で結果を出すことより断然難しくて熱狂的なことなんだと感じた。そしてチームで結果を出すための指導者、監督は本当にすごい。脚光を浴びるのはいつもプレイヤーだが、私はその裏にいるマネージャーや監督が1番感謝され、話題になるべき存在だと思う

 

人間世界でこんなにも力を合わせて1つのミッションやゴールへ向かうことが魅了的で熱狂的だなんて知らなかった、死ぬまでに仲間と熱狂的に生きていきたいね

 

では、また。

新しい世界へ向けて 

世界で活躍するぞ!ゆりー

 

2年ぶりに旅に出た

パンデミックがおさまりつつある中、世界は海外客受け入れを徐々に緩和しワクチン接種で隔離なく旅に行けるようになってきた。

残念ながら私はワクチン未接種なので未だ海外旅への道のりは長い。これだけ海外での刺激を切望しているんだからとっととワクチン打って人間に戻ればいいんじゃないか、そう何度も思っているが決心がつかない。

 

2022年、私は24歳となりあいかわらずフルリモートワークで場所を問わない働き方をしている。ゆりーらしく悩みは尽きない。仕事へもプライベートへも、"まあこのくらいでいっか"を許さない自分がいくらでも成長促進をしていて、毎日もっともっと忙しく、そして大きなことをやり遂げたいと心から"何か夢中になれるもの"を探している

夢中になりたい、そう簡単に見つかるものでもなかった。発見は外の世界に触れた時に初めてある。

 

私はGW、沖縄に来た。石垣島那覇だ。石垣島はみんな行くから何がいいんだろうと思って確かめに来た。

1週間の滞在だったが、いつもの日常の3週間分程と充実度だった。泊まったゲストハウスではみんな精神力の高い人たちで新しい出会いに全身の血が騒いだ。エネルギーが高い人は高い人を引き寄せる。

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石垣最終日は、シーサーを作りに行ったタケ工房のおじいちゃんと乾杯を交わした。このおじいちゃんはなんとも人間であって、感性を描くその孤独や苦しみに鈍感なのか乗り越えてきたのか、人生のバックグラウンドに純粋さを感じた。彼の絵や写真を見て、"ああ私も表現していいんだ"と思ったし、なんとも野生的で人間が生きてる写真が私のか心を揺さぶった。なんだか、自分の表現を肯定された気がした

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新しい世界に触れること、別次元に行くことが私の成長と欲しているものであって、インターネットの中でどれだけ武勇伝や写真を見てもまったく魂は変わらない。人間の味は人間に触れた時に初めてわかり、snsで見えるマウントの取り合いの表現には何とも胸糞悪く感じる。私の表現もこんな汚いやり方がいいのか?と色眼鏡がかかってしまうが、表現はマーケティング広告のようにああしたらこうなるのレースに乗せてしまうと一気におもしろみがなくなる

野生的で書き殴るようなものでよい

 

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都会で過ごしているとどうしても潜在的に感性を統一されていく気がする。自分の感性だけは絶対に譲れないんだから、孤独で苦しくてもゆりーの魂が常に前を向けるように自分を大事にしていこうと思う。

まずは自分を誰よりも大事にする。

 

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またね、石垣!